2008年11月24日月曜日

いじめ

「いじめ」- 何て厭な響きだろう。喧嘩は昔からあった。がき大将もいて、子供たちは連んで遊んでいた。人の家の柿を盗み取ると「オヤジ」が出て来て怒鳴られた。子供たちは「限度」を知っていたと思う。どうして知っていたかというと、日常の生活の中で、親や近所の人達が、直接・間接に教えてくれていたのだ。子供が「社会」の宝だったから、地域のみんなが大切な教えを伝えて来たのだ。
一部に「社会」の宝でなく、自分の所有物であると考える大人が登場してきた。急に登場する訳はないので、少数派だったものが増殖したということなのだろう。子供もストレスを感じているに違いない。親の目をとても気にしているはずだ。親の前では「良い子」を演じ続けなければならないからだ。だから「そつがない」良い子のようだが、本来子供の持つ「自由奔放さ」を、どこかへ無理やり押し込めているのだろう。そのストレスが暴発して事件にまで発展してしまう悲劇が起こっている。
子供を再び、社会の宝に戻さなければならない。大人が変わらなければならない。「大人」になりきれていない大人は、大人の義務を学ばねばならない。
子供は、天からの授かり物だ。立派に育てられるかどうかが、親としての評価になるのだ。社会が認める大人に育ったら、立派な仕事をしたことになるのだ。自覚しよう。